評価すること

看護研究発表会で発表に対して、評価をする際に指標となるものをまとめてみました。

 

発表に対してどのように評価するかによって、モチベーションも変わってくるので看護師の上司としては悩みどころでもあります。

 

評価することは何か

 

まず「評価」の言葉の意味から調べることにします。

評価:
1)品物の価格を定めること。また評定した価値。
2)善悪・美醜などの価値を判じ定めること。(広辞苑)
1)品物相応の値段を決めること。
2)人・物事の善悪美醜の価値を判定すること。(広辞林)

そこでさらに、この中に使われている言葉の意味を調べます。

価値:
1)物事の大切さの程度、ねうち。
2)〔哲〕「よい」といわれる性質「わるい」といわれる性質は反価
値。広義では、価値と反価値とを含めて価値という。

批評:事物の善悪・美醜・是非などについて評価し論じること。(広辞苑)
1)欠点・長所、あるいは是非を論じ定めること。批判。
2)善悪を判断すること。美醜を評価すること。(広辞林)
3)〔経〕何らかの要求を満たすための効用の見地から物に対して認められる意義。生活における直接的効用という点からの使用価値と他財との相対関係において持つ交換価値とに分ける。(広辞苑)

判定:見分け定めること。判断して決めること。(広辞林)

これを読んだだけで、評価の重要性と同時に、難しさを感じることと思います。

 

 

評価の必要性

研究の評価なのですから、「評価」という言葉の意味の1)の品物の価格を定めること。
また評定した価値。、品物相応の値段を決めること。ではなく、2)の「善意・美醜などの価値を判じ定めること。、人・物事の善悪美醜の価値を判定すること」のほうであるとわかります。

 

特に、研究論文としての善悪の価値を判定することになります。研究論文としての価値を判定するためには、その研究の大切さの程度と、その研究のねうちを見極めることが必要です。

 

評価の仕方

 

評価をするためには、評価とレベルと、評価の基準を確立しておく必要があります。

 

方法論的には、単純で行う評価と、合議制で行う評価とがあります。

 

時間と能力の経済性から見て、合議制のほうが合理的に、しかも評価者の負担が少なくて済みます。

 

評価の活用法

 

評価を活用するためには、その評価を受け入れる精神的な余裕が必要です。

 

思いがけない評価であったり、自分の意図したこととはズレた評価である場合も数多くあります。

 

そのときに、まずその評価を受け入れてから、ユックリと吟味すればよいのです。

 

適切な評価にしたがって吟味して承ると、自分の書いた研究論文を客観的に見直すことができて、よりよいものに作り替えることができます。

 

評価のポイント

評価のポイントをしっかりと理解しておくことは、評価をする際にはもとより、評価をされる側に立ったときでも役立ちます。

 

着眼点

論文を評価する際に、一定のレベルに達しているか否かで、評価の基準が変わってくることが考えられます。

 

看護研究の論文に要求されるレベルとしては、講評について述べるときにも触れましたが、

  1. 看護の目(芽)
  2. 方法
  3. 内容
  4. 新しいものであること(Originality)
などが考えられます。

 

研究の評価のレベルとして考えられるものを、ちょっと言い換えてみます。

  1. 看護の目 → 発想の基盤
  2. 型 → 形式・約束事
  3. 方法 → 科学性
  4. 内容 → 論理性
  5. 新しいもの(本来の研究)Originality

これは同時に、それぞれの段階で要求されているものでもあるわけです。

 

 

看護の目(芽)

いずれにしても、看護研究の論文なのですから、看護の目に基づいたものであることが、要求される最低のレベルであると思います。

 

看護上の問題を、看護者の立場から、看護の目で追究するのが、看護研究です。追究した結果をまとめあげて、言語的に表現したものが、看護研究論文というわけです。

 

このレベルで止まっている論文は、あまり高いレベルの要求をしません。

 

言葉使いが少々おかしかったり、型を守っていなかったり、方法が明確でなかったり、内容が未熟であったり、今までに、繰り返し取りあげられ、すでに解答が出ているものであってもやむをえません。

 

それらは、研究を繰り返すことによって、全部克服できるものです。

 

しかし、看護の目が狂っていては、看護研究になりません。
看護論文の心算で書いたのでしょうが、医学論文の書き損ないのようなものをしばしば見かけます。

 

看護の目というのは、主として看護学生に求めるものです。学生であるうちに、看護の目を、確立しておかなければなりません。

 

看護者としての意志、意識、認識、発想、行為、行動、etcです。

 

看護学生は、それらのものを、身につける過程にあります。学生のときに要求される、発達的課題(その段階でなければ見られない特質があり、その特質にしたがって、その段階でなければ伸ばしてやれないもの。

 

その段階を外してしまうと後になってから伸ばそうとしても、とても追いつけないもの。その段階でなければ果たせない課題を、確実に身につけたか否かを認識する1つの方法として、学生が行う看護研究を、位置づけることができると思います。

 

 

型を学び、型を知ることは、研究論文を書いていく過程の中で、必ず通るものです。しかし、型を学ぶことは、ゴールでもなければ、目的でもありません。

 

研究論文には、伝統的に定まった一定の型があります。考察は、感想や反省では無く、まさに考察でなければならないのです。

 

参考文献・引用文献の書き方、共同研究を行った場合の名前を並べる順序、結論やまとめをキッチリ・ハツキリ書くこと、抄録を作る際に中身に要求される要素などなど、知らなければならない型、守らなければならない型が、いろいろあります。

 

型通りになっていれば、それだけでよいというわけではありません。

 

しかし、勝手に型を破っていて、これが私の独自性というわけにはいきません。型すら知らないし、約束事を守れない人と評価されるだけです。

 

方法(科学性)

 

研究が、科学的であるか否かは、方法の確かさによって、決定されます。

 

方法が確かであるということが、次に要求されるレベルです。

 

方法が間違っていては、得られた結果の正当性を主張することはできません。
方法が確かだから結果を信頼できるのです。

 

新しい問題に取り組み、今まで解決されていなかった問題を解決するためには、新しい方法を開発する必要のあることのほうが多いのです。

 

自分では新しい方法を開発したつもりでも、それが学問的に見て正しい方法であり、倫理的にも是認できるものでなければ、何にもなりません。

 

ところが、数字で表してあれば科学的という、錯覚があります。

 

たとえば、「当院の手術は、一日平均11.7件であった。」などという報告を見ると、ギョッ!とします。
「平均すると、一日に11件、ないし、12件であった。」であるならば、納得できます。

 

いったい0.7件の手術とは、どんな手術なのでしょうか?

 

さらに、看護には、数字に表せないものが、たくさんあると思います。

 

医師が、治療をする際に、患者さんの感情を、どのように評価するのかは、わかりません。
しかし、看護をする際には、患者さんの感情を、無視することはできません。

 

感情的に受け入れられていないと、真の納得は、得られません。感情的に納得していると、かなりの苦痛にも耐えられるものです。

 

しかも、この感情は、数字で表すことが、極めて難しいものです。
1人の患者さんに対する看護過程には、その患者さんの感情に、看護婦が、いかに寄り添っていったかが、表れてくると思います。

 

したがって、このことから、看護研究の主流になるべきものは、いかに数字で表すかということよりも、いかに看護がなされたかであると思います。

 

内容(論理性)

 

看護の目に基づき、型にしたがい、方法が確かであると、内容の検討が可能になります。

 

このレベルのときも、新しいものであることをそれほど要求しません。

 

正しい手順(方法)で得られた結果から、論理的・科学的に正しい結論が必然的に導き出されているか、その結論を是認・肯定・承認できるか否かが問題となり、検討されます。

 

内容的に価値のある論文は、参考文献・引用文献として使うことができます。内容的に価値の無いもの、内容に誤りがあるものは、役に立ちません。

 

そして、内容的に価値があるか否かは、論理的に正しいか否かに、かかってきます。
たとえば、「術後合併症を予防し、異常を早期に発見する。」などという看護目標が、掲げられていたら、論理的には、絶対に真にはなりえません。

 

このようなことは、論理学のところで、論理法則などと共に、検討してあります。

 

新しいもの(オリジナリティOriginality)

 

研究とは、「よく調べ考えて真理をきわめること」(広辞苑)ですから、「真理」をきわめているものが、本来の研究ということになります。すでに真理として明らかにされているものを、追究しても構いません。

 

しかし、それは追試、再試と見なされて、オリジナリティのある研究とは、認められません。

 

今まで未知であったものを、既知に変えていく作業が研究であるといっても、よいかもしれません。

 

さらに、仮説を立ててそれを検証し、結論を出して述べ、その分野の人とに、新しく検証すべき仮説として提示し、検討・批判・検証を求めることが、研究であるといってもよいと思います。

 

仮説が定説になりえることを証明してゆく過程ということもできます。

 

しかし、初めて取り組む研究で、オリジナリティを主張することは、極めて困難です。繰り返し研究に取り組むことによって、初めてオリジナリティのある研究テーマを、見つけ出すことが、可能になるからです。

 

すでに明らかになっていることを、追試・再試験として取り組んでいくうちに、オリジナリティのある研究テーマが、わかるのです。

 

そこで、講評や評価に際しては、研究者のレベルに合わせて行うことも、必要になります。

 

この研究に、オリジナリティがあるか否かのチェック・ポイントは、次の通りです。

 

事例・調査・実験研究の場合

  1. 取りあげたテーマに、オリジナリティがあるか?
  2. 仮説のもとになった仮定に、オリジナリティがあるか?
  3. 新しく考えた理論・考え方である仮説に、オリジナリティがあるか?
  4. 仮説を検証するための方法に、オリジナリティがあるか?
  5. 仮説を検証するための対象に、オリジナリティがあるか?
  6. 仮説を検証するための材料に、オリジナリティがあるか?
  7. 得られたデータに、オリジナリティがあるか?
  8. 得られたデータの整理・分析・解釈に、オリジナリティがあるか?
  9. 得られた、その結果に、オリジナリティがあるか?
  10. 考察の仕方に、オリジナリティがあるか?
  11. 考察の結果から導き出した結論に、オリジナリティがあるか?

 

症例研究の場合

  1. 取りあげたテーマに、オリジナリティがあるか?
  2. 患者さんが稀な疾患で、その看護の展開にオリジナリティがあるか?
  3. 患者さんが複雑な背景をもち、そのため、看護的な対応に、特に配慮しなければならないなどの、オリジナリティがあるか?
  4. 患者さんは、Needsが特殊で、看護的な対応に、オリジナリティがあるか?
  5. 患者さんが、特殊な訴えを行い、そのための、看護的な対応に、オリジナリティがあるか?
  6. 看護者から見て、患者さんが特殊な状態であるためにオリジナリティがあるか?
  7. 医師の治療方針が珍しく、看護を行う上で、オリジナリティがあるか?
  8. 患者さんが示す、バイタルサインが特殊で、そのため、看謹を行う上での、オリジナリティがあるか?
  9. 患者さんは検査結果が特殊で、その看護を行う上で、特に配慮しなければならないことが多いなど看護上のオリジナリティがあるか?
  10. 看護判断、看護査定、アセスメントを、行う上で、今までに報告されていないような、オリジナリティがあるか?
  11. 患者さんの解決すべき問題点と、その問題を解決するために予想される、看護的な対応に、オリジナリティがあるか?
  12. 患者さんが、達成し、到達するべき、看護目標に、オリジナリティがあるか?
  13. 患者さんが、目標を達成することができるように、一貫性・整合性・統一性をもって、患者さんを支えるための、基盤となる、看護方針に、オリジナリティがあるか?
  14. 患者さんが、目標を達成し、目標に到達するための、具体的な看護計画に、オリジナリティがあるか?
  15. 看護計画を立てるための発想に、オリジナリティがあるか?
  16. 看護実践を展開する過程に、オリジナリティがあるか?
  17. 看護計画を実践し、患者さんが得た結果に、オリジナリティがあるか?
  18. 患者さんが得た結果の、評価の仕方に、オリジナリティがあるか?
  19. 他の看護者が、類似した患者さんに展開した看護計画と看護実践、および、得た結果を、文献的に探索・比較・照合することによって判明した、自分達が展開した看護計画と看護実践、および、得た結果に、オリジナリティがあるか?
  20. 自分達が展開した看護から得た結論に、オリジナリティがあるか?

 

1例の重要性

評価の際に特に注意しなければならないのが、1例の報告に対する態度です。

 

看護は、基本的には、1人1人の患者さんに対して、個別的に行われます。一般論や定説を、そのまま適用して、それで十分な看護ができたというのは、極めて稀です。

 

一般論や定説は、看護を展開する上での、ガイド・ラインにはなりますが、そのまま実践というには、無理があります。

 

1人1人の患者さんは、一般論通り、定説通りには、なかなかなりません。一般論通り、定説通りになった患者さんがいたら、その患者さんは、極めて稀な、特殊なケースと考えられます。

 

数多くの患者さんの、80%までをカバーできるのが、一般論・定説であり、1人の患者さんの、80%までをカバーできるのが、一般論・定説とも考えられます。

 

そして、1人の患者さんに展開した看護が、確かなものを獲得したら、
その経験は、次の類似したケースに展開したとき、確かなものを得られると、予測できます。

 

このように、1人1人の患者さんに展開した看護から、確かなものを得て、それを、数多く積み重ねていくと、次第に、確実なもの、有用なもの、役立つものが、増えていきます。

 

そして、それらが、次第に、次の一般論・定説に、組み込まれていくのです。その基盤になるのは、1人1人の患者さんに展開した看護の1例というわけです。

 

数多くの例を集めて、それを統計学的に処理し、何らかの成果を得たいという場合は、実験や調査に頼ることになり、1人1人の患者さんと、看護実践の場で、具体的に、どのようにかかわりあったかという視点は、希薄にならざるをえません。

 

1例の重要性を、再認識してもよいと思います。
看護研究発表会での評価する基準について

 

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