看護師が患者側になってわかる患者の悩みと看護師の悩み

つい先日、80歳を超えた叔母が亡くなりました。昨年10月に卵巣癌で手術を受け、正月前にいったん退院したものの、3月頃から容態が悪化して寝つき、5月の連休前にとうとう再入院になってしまいました。

 

叔母はずっと独身だったので、義理の姉妹にあたる私の母親が「家族代理」の形で世話をしていました。おかげで私も否応なく騒動に巻き込まれ、「重病人を抱えた家族のうろたえぶり」を目の当たりにしたのです。

 

長期療養患者の家族への説明にも配慮が必要

母が最初にパニックを起こしたのは、入院検査の結果、癌と診断が出た時でした。主治医から「卵巣癌です。既にかなり進行しています」とストレートに告げられ、「ご本人への告知はどうしますか」と聞かれたようなのです。

 

その後、細かい説明もあったようだが、母は「進行癌」と聞いた瞬間に頭の中が真っ白になり、何を言われたのか記憶していないとのこと。

 

「すべて先生にお任せします。よろしくお願いします」と頭を下げるのがやっとであったということです。SOSを受けて慌てて飛んで行くと、荘然自失状態で座っていたのを思い出します。

患者の家族,メンタルケア,看護師の役割

 

医療者(特に医師や看護師)は家族に病状説明などを行う場合には、患者に対するほどには細かく気配りしないといわれることがあります。

 

それは、もちろん自分自身のことではないし仕事の一環としてであるから、冷静に受け止められるだろうと思うのかもしれないですね。
でも、いきなり「最悪の事実」を告げられれば、大抵の家族はショックを受けるものです。

 

もちろん、ショックの受け方にも個人差があると思うのですが、私の母は臆病で小心なたちだから、血圧がハネ上がるほど動転したようです。家族に対しても、相手の性格や理解度をみながら、段階を踏んで徐々に話していくという配慮が必要ではあるんじゃないか、と思える出来事でした。

 

もちろん、そこには看護師もそれをサポートしてほしいとの願いがありました。逆の看護師の立場にたってはじめて患者の悩みを看護師が受け止め切れていないことを感じたのです。

 

「あの人は半狂乱になる。そうなったら世話しきれない」と母が告知を拒否したため、叔母には最後まで病気に関する情報を伏せることになりました。

 

おかげで母は「叔母の半狂乱」には付き合わずにすんだのですが、代わりに自分が説明を受けて、何かを決めねばならないという責任を背負うことになったのです。そして、そのことが相当な精神的負担になってしまったのですね。

 

「分かりましたか」と聞かれても答えられない患者の家族

最近は、患者(や家族)に詳しく病状や治療法の説明を行うのが普通になってきました。でも、本当に「インフォームド・コンセント」が成立しているかどうかは、また別なのかもしれませんね。

 

それは、単なる説明だけということが多いし、それ以前に、説明そのものが「よく理解できないまま終わっている」ケースも珍しくないからです。そのフォローは、看護師の重要な役割だとおもうのですが、実際のところはまだまだです。

 

例えば、ナースはよく「さっきの先生のお話、お分かりになりました?」と聞くときもありますが、そういう漠然とした質問をされても患者や家族は即答できないものです。第一、私の母などは「何が分からないのか、それさえ分からない」という状態だったのですから、答えに窮して黙っているしかありません。

 

そこで、「この人は聞きたいことないのね」と納得されては患者の家族としては困ってしまいます。かと言って、一つひとつ医師の説明事項を繰り返し、「これ、分かりました?」と確認されるのも、テストされているようで不愉快なものですね。

 

看護師としてはケアしながらさりげなく理解度を確かめて、日常会話のなかで説明を補っていくような技術を身につけてほしいと感じたものです。

 

看護師の難解な言葉は不安をあおってしまう

2度目のパニックは、術後の説明を受けた時に起きました。主治医の説明がまるで分からず、必死でメモした言葉を電話で私に伝えながら、「どういうこと、どういう意味なの?」とせわしない口調で繰り返していました。そうやって解説を求められても、断片的にしか聞き取っておらず、しかも聞き間違いだらけなので、こちらも首をひねるしかないのです。

 

看護師として勤務していても、いざ患者の家族側に立つとまったくわからないことも多々あります。

 

それで困惑して主治医に会いに行き、やっと母を動揺させたものの正体が分かったのです。「クリァーセル・カルチノーマ(明細胞癌)という種類で、進行が早いのです」

 

「遠隔転移はまだ認められませんが、既に腹腔内にミクロのレベルで播種しています」「腫傷マーカーの値が下がっておりません」......等々、専門用語を散りばめた説明だったのでした。

 

主治医は母と私とで、話し方を変えたわけではありません。一緒にいた母が、「同じことをおっしゃった」と言っていたからです。

 

これは、母一人では無理だと思い、それから正式なインフォームド・コンセントには必ず立ち会うことにしたのですが、病状説明などは必ずしも日時を約束し、面談室で腰を据えて行われるものではなく、折りにふれて、現状報告のような形で簡単な説明を受けます。

 

身の回りの世話などに関してナースに質問し、いろいろ説明してもらうこともありました。そういった場合にも理解不能の言葉が混じることがままあり、そのたびに母は不安に襲われたようです。

 

確かに、看護師としても説明する側に立つ場合と、説明される側に立つ場合とによって、立場が逆転するので、悩みは大きくなります。「難しい話」=何か大変なこと」と感じてしまうからです。

 

また、難解な専門用語ではなく、一般にも使われる例えば「せん妄」といった言葉でも、それが今まで無縁の言葉だった場合は、大げさに響いてギクリとしてしまいます。おそらく、母だけが特殊なわけではないでしょう。

 

患者の家族は、怯えやすい精神状態になっているからです。患者の家族の立場に立つと、なるべく普通の、平易な日常用語で話をしてほしいと思うことしきりでした。

 

「高齢の家族」の特殊な心理

再入院の少し前に、下血が始まりました。腹水のほか胸水も溜まってIlf-I吸困難を訴え、骨転移による底痛も出てきたのです。その頃から、母の精神状態が一段と不安定になったのを覚えています。

 

病状の変化にいちいちハニックを起こし、不安で眠れない、食事も喉を通らない、血圧が上がったなどと訴えられて、精神科に連れて行こうかと思ったほどです。

 

死なれるのがつらくて耐えられないほど、叔母と仲がよかったわけではありません。むしろ悪かったほうですが、母が何度か口にしたのは、「死んでいく人を看取るのはつらい」ということでした。

 

近親との死別は初めてではありません。自分の両親のほか、夫とも死別しているのですが、「あの頃はまだ若かった」と言うのです。
「この年になると、明日は我が身だからね」叔母は再入院後何日かして、さすがに自分の病状に対して疑問を持ち始めました。「死にたくない」とヒステリーを起こして、「どんなことをしても治してくれ」と医師やナースに懇願しました。

 

その最後のあがきを見て、母は「あんな死に方はしたくない」と、こちらもヒステリー状態になってしまったのです。

 

高齢者は他者の重病や死を他人事と思えないものです。間近に迫った自分の死の予告編を見せられているような気になって、心を病んでしまうこともあります。患者の家族が高齢の場合は、そのあたりの心理にも看護師としては配慮すべきだと実感したものです。

 

この看護師として患者の家族の立場となる体験が、看護師としてこれからどうするのか、さらに悩みました。

 

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